まずはクリスマスの語源から。
古英語では"Cristes masse(クリーステス・マッセ)"と言う。
Cristesは無論キリストのこと。
ヘブライ語のマシーアハ(massiah;メシア、救世主)のギリシア語訳Χριστοσ(クリーストス)から。
masseはミサのこと。
つまり、救世主降誕祭。
しかしながら、キリストがこの日に生まれたと言う事実は無い。
では、キリストはいつ生まれたのか?
冬ではないのは確かである。
第一に、イエスが生まれた日の記述に、「その地方で羊飼いが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」とある。イスラエルに冬は寒さが厳しく、野宿したら死ぬかと思われる。
さらに、イエスの誕生日は諸説あった。記録に有るのは、3/28、4/2、4/19、11/8、11/18である。初期のキリスト教徒にとっては、イエスの誕生日は関心事では無かった。
その後1/6が「主の公現」とされる。しかし、これはイエスが洗礼を受けた日である。が、「イエスは生れながらにして救世主だった」と言う解釈が公式に採用され、イエスの生誕は1月1日とされるようになった。
だが、三世紀の神学者オリゲネスは「クリスマスを定めることは異教的である」と非難している。
では、何をもってクリスマスは12月25日になったのか。
そこには、布教拡大を目指すキリスト教の戦略があった。
ご存知の通り、キリスト教は成立当初、ローマ帝国から迫害を受けていた。しかし、4世紀にはうってかわる。
それまでローマ帝国から弾圧されてきたキリスト教が、313年にコンスタンティヌス帝から公認され、392年にはテオドシウス帝によって国教化された。クリスマスが12月25日になったのはその間だ。
なぜか。12月25日付近には、異教の祭日が重なっていたからである。
- サトゥルナーリア
- ローマ人の冬至祭で、12月17日から24日。常緑樹が飾られる。プレゼント交換や、どんちゃん騒ぎもあった。
- ディエース・ナタリス・ソーリス・インウィクティ
- 無敵の太陽の生誕日を意味する。
ジャスト12月25日。当時ミトラス教はかなりの規模を誇っていた。
- イシス祭
- エジプトの女神イシスの祭。冬至付近に行われた。
- ユール祭
- ゲルマンの祭で、12月の10から12日間。雄豚を食べた。
これらの祭りを取り込むことで、布教拡大を狙ったのだ。
更に、日曜日が休日なのはミトラス教から、クリスマスの時期をユールと呼ぶ事、北欧でハムを食べるのは、ユール祭からだ。
この戦略により教徒を増やしたキリスト教は、異教化も進んだのだった。